CASE STUDY | クライアントインタビュー
「AI活用の成否を分けるのは、プログラミングスキルではない」
プログラミングを専門としないメンバーが三ヶ月で——エンゲージメント設計とリーダーの率先が、AI活用を根づかせる

GenerativeX 上田 雄登 / バイエル薬品 植田 昌孝 氏
多くの企業がAI活用に乗り出している。しかし、その多くはChatGPTのような対話型AIで文章を作ったり調べ物をしたりする段階にとどまり、「仕事のやり方そのものが変わった」という実感には、なかなか届いていない。関心は高く、ツールも広まった。それでも、社員一人ひとりが自ら使いこなし、日々の業務を組み替えるところまでは進みにくい——多くの組織が、いまそんな停滞を感じている。
この停滞を、どう突破したのか。バイエル薬品株式会社では、AIやDXの専門部署が主導するのではなく、各部門の担当者が、自身の仕事にAIを取り入れて自動化していく、現場発のプロジェクト「ADEPT(アデプト)」が進んでいる。用いるのは、人の指示を受けてパソコン上の作業を自分で進めるAI「コーディングエージェント」だ。参加者は、プログラミングを専門としない業務担当者が中心。それでも三ヶ月ほどで、資料作成や文献調査といった日々の業務にAIを組み込み、必要な成果物を自分で仕上げられるようになったという。
なぜ、それが可能だったのか。鍵は、AIの技術的な難しさではなく、「自分の仕事は自分で変えられる」という使い手側の意識にあった。プロジェクトを率いるバイエル薬品の植田氏に、プロジェクトを伴走支援したGenerativeXの上田が話を聞いた。
現場だからこそ気づける「機会」がある
バイエル薬品株式会社は、バイエル ホールディング株式会社の子会社として、日本で医薬品事業を担う製薬企業だ。バイエルはグローバルで全社的なAI活用の方針を掲げており、日本でも同じ水準で全社的な活用が進んでいる。そうした環境の中で植田氏が着目したのは、現場の担当者自身がAIの使い手になることで生まれる、もう一段の可能性だった。
AIの進歩は速い。日々の業務に向き合う日本の現場だからこそ気づける活用の機会がある——その手応えが、プロジェクトの出発点になったと振り返る。
「全社的な方針や基盤があることは、とても心強い。そのうえで、現場が自分たちで動ける余地も同じくらい大きいと感じていました。日本の現場だからこそ気づける『機会』がある、と考えたんです」(植田氏)

バイエル薬品株式会社 植田 氏
植田氏が機会として見据えたのは、DXを進めるうえで生じる「翻訳コスト」だった。開発担当・企画担当・業務担当が分かれていると、要件を互いに伝え合うたびに時間がかかり、投資が成果に結びつきにくい。さらに大きいのは、全体として最適な形を見失いやすいことだという。
「実際に業務でAIを活用する担当者本人なら、細かいところまで行き届いた工夫ができます。ところが間に伝達を挟むと、その細やかさが失われてしまう。逆に、人が手作業でやった方が速いことまで、無理に自動化しようとしてしまう。自分で作って動かせるようになると、自分にとって最適なやり方を見つけやすくなるんです」(植田氏)
生成AIの登場以前から、多くの大企業が共有してきた考え方に、「車輪の再発明をするな」という原則がある。これは特定の企業に限った話ではなく、トップダウンでDXを進める組織に広く見られる発想だ。同じものを個別に作り直すのは非効率だから、一度作ったものを全社で共有・展開する——合理的な原則である。しかし、と植田氏は言葉を継ぐ。
「AIの登場で、その前提そのものが変わりつつあります。作り直す手間がほとんどかからなくなり、むしろ『各部門、各現場ごとに最適化する』ことにこそ価値が生まれる。かつては非効率とされた個々の部門や現場での作り込みが、これからは強みの源になり得る。『車輪の再発明を避ける』という発想も、今見直す時期に来ていると感じます」(植田氏)
AIチャットボットの利用から生まれた確信
コーディングエージェントに行き着く前から、植田氏には一つの確信があった。「現場の担当者自身が、自分の仕事を自動化する仕組みを作る時代が来る」という予感である。
バイエルは早くから、社内で使えるAIチャットボットを全社員に提供していた。目的に合わせた指示をあらかじめ設定したAIアシスタントを、誰でも簡単に作れる仕組みだ。植田氏が社内で開いていたAI勉強会でも、参加者はこの仕組みを使い、自分の業務に合わせたアシスタントを構築していった。
「その改善の着眼点は、実際に使う人ならではのものでした。しかも、作ってから使い始めるまでが圧倒的に速い。開発・企画・現場が役割を分けて大きな仕組みを作る時代から、担当者自身が作る時代になる——そう確信しました」(植田氏)
当初は、担当者が自然言語で指示しながら簡単なアプリを自作する、という構想だった。だが、技術の進化が想定を上回っていく。作業手順をAIが繰り返し使える形にまとめる仕組みが整い、AIそのものの性能も上がった。決定打となったのは、GenerativeXのイベントで見た、アプリのようなユーザーのための画面操作を介さずにAIが自律的に業務を進めるデモだった。
「あのデモで、目指す姿が一段上がりました。『人が画面操作するアプリを自作する』だけでなく、『AIエージェントが業務手順を自動的に進める仕組みをつくる』へ、と」(植田氏)

この転換を後押ししたのが、GenerativeXの上田だった。単に生成AIの研修プログラムを提供するだけではなく、参加者が自分の業務にAIエージェントと、その作業手順をまとめた「SKILL」を組み込み、繰り返し使える仕組みへ育てていく——その視点で支援を行った。ADEPTはすでに動き始めていたが、進めながら方向を修正した。植田氏はこれを「走りながら学び、方向を整えていく、バイエルらしい進め方」と表現する。
※「SKILL」とは、AIエージェントに任せたい作業手順をあらかじめインプットさせることで、繰り返し実行でき、ほかのメンバーとも共有・再利用できる形にまとめたもの。
成否を分けたのは、スキルではなくエンゲージメント
導入して植田氏がまず驚いたのは、立ち上がりの速さだった。参加者は、プログラミングを専門としない業務担当者が中心。それでも三ヶ月ほどで、実務に使えるレベルに達したのである。
「そこで確信したのは、成否を分けるのは技術の難しさではない、ということでした。技術的な壁は、思うほど高くない。分かれ目になるのは、いかに使い続けてもらうか。つまりエンゲージメントなんです」(植田氏)
だからこそ植田氏が最もこだわったのは、研修の中身ではなく「誰に参加してもらうか」という入口だった。社内には、AIに関心のある社員が集まるコミュニティがある。そこへプログラムを案内し、参加者を挙手制で募った。加えて、参加には一つの条件を設けた。各自が自分の上司に説明し、参加の了承を得てくること、である。
「全員が『上司を説得して了承を得る』というひと手間を、自ら引き受けて入ってきます。だから参加した時点で、やる気のある人が自然と集まる仕組みになっているんです」(植田氏)
進め方も明快だった。「教える」よりも「実際に使ってもらう」ことを重視し、体系立った講義はほとんど設けない。参加者はそれぞれ自分の実際の業務を題材に持ち込み、GenerativeXの支援を受けながら、自分の手で動かす。まずは慣れること。使った量が習熟を決める、という考え方だ。
もう一つ、やる気を支えるうえで欠かせなかったのが、「困ったときにすぐ相談できる窓口」だった。その役割をGenerativeXの上田が担った。
「作業の途中で行き詰まっても、すぐ相談できる。その安心感が、参加者が自分で進めていく支えになっていると感じます。中には、AIに尋ねながらほとんど自力で解決し、どんどん先へ進む参加者も出てきました」(植田氏)

株式会社GenerativeX 上田
支援したGenerativeXの上田も、この設計の効果をこう語る。
「AI活用が続くかどうかは、結局、取り組む本人に『やってみたい』という気持ちがあるかどうかに尽きます。バイエル様では、入口の段階でその気持ちを持つ人が集まる設計になっていました。だからこそ私たちも、一律の研修を実施するのではなく、一人ひとりの実際の業務に寄り添うことに集中できました」(上田)
印象的なのは、使っている社員の多くが前向きに取り組んでいることだ、と植田氏は言う。義務としてこなすのではなく、自分の手で業務を改善していくこと自体に、手応えを感じている。その前向きな熱量こそが、定着を支える原動力になっている。
変化を捉えながら、安全性を確かめて進める
製薬は規制の厳しい業種であり、セキュリティやコンプライアンスは避けて通れない。植田氏は、それを「すでに解決済み」とは言わない。今も向き合い続けているテーマだ、と位置づける。
前提として、必ず守るべき基準はグローバルの方針で明確に定められている。AIに入力してはいけない情報、AIの生成物を使ってはいけない場面、使ってはいけないツール——その線引きは確実に遵守する。利用するAIも、グローバルのIT部門が全社員に提供し、正式に承認したものだ。
そのうえで、植田氏は現実も見据える。AIエージェントは、指示に応じて資料の編集や移動といった作業を、自分で実行できる。一方で、これほど自律的に動くAIを、専門家でない社員が日常的に使う状況は、既存のルールが想定してきた範囲を超えつつある。だから今は、社内の専門部署と連携しながら、専門家でない社員が使う際のリスクと対策を体系的に整理している。
「大切なのは、『リスクは固定されたものではなく、常に変化している』という前提を共有することです。そのうえで、その時々の状況に応じてリスクを見極め、適切な対応策を継続的に更新していく。変化を捉えながら安全性を確認し、一歩ずつ前へ進む。この柔軟で継続的な対応も、走りながら整えていく姿勢の一つです」(植田氏)
個人の工夫が、組織の財産になる
成果は、具体的な形で現れ始めている。論文の図表の整理、要点のスライド化、文献調査、論文執筆の補助——これまで人手と時間を要した作業が、担当者の手元で短時間に片づくようになった。
だが植田氏が強調するのは、個々の効率化以上の変化だ。AIを学ぶ社員同士の会話が、変わってきたという。
「『それ、どうやったんですか?』『その手順はSKILLにまとめてあるので、共有できますよ』——そんなやり取りが自然に生まれています。プログラミングを専門としない担当者が、こうした言葉を当たり前に使い始めている。個人の工夫が、みんなで使える組織の財産になり始めていると感じます。これは一つひとつの効率化よりも、はるかに大きな効果を積み重ねていくはずです」(植田氏)

個人の意識も変わってきた。「欲しいものは自分で作れる」という感覚が広がると、改善が現場から自然に回り始める。間に人を介さず、課題に気づいた本人が、その場で解決していく。
この現場発の動きは、全社の取り組みとも重なっている。ADEPTのような現場発の実践とは別に、バイエルではトップダウンの方針による全社規模の取り組みも並行して進む。植田氏自身も、その部門横断チームに加わっている。一見相反する二つの動きは、実は同じ方向を向いている、と植田氏は語る。
「トップダウンで示す方針の中身が、現場に裁量を委ねる土台づくりそのものなんです。中央が完成品を配るのではなく、現場が自分で動ける土台を整える。それは、バイエルが大切にしてきた『現場への権限委譲』の文化とも重なっています」(植田氏)
次に見据えるのは、現場で生まれた工夫やAIの使い方を、誰もが簡単に見つけ、試し、再利用できる仕組みだ。いま自然に起きている知恵の受け渡しを、意図して起こせる状態にしたい、という。
まず、リーダー自身が使ってみる
同じ課題を持つ企業へ、何を伝えたいか。植田氏のメッセージは明快だった。「対話型AIで、止まらないでほしい」。
世界がAIに関心を持ったきっかけは、ChatGPTのような対話型AIだった。質問に答え、文章を作ってくれるAIだ。しかし、「仕事が本当に変わる」という実感をもたらすのは、指示した作業を実際にやり遂げるエージェント型のAIだと植田氏は言う。対話型が関心に火をつけ、エージェント型がそれを成果に変える。対話型は、あくまで入口に過ぎない。
ここで植田氏が最大の壁として挙げたのが、多くの人の意識だ。世の中の多くの人は、ChatGPTのような対話型AIを使えている段階で「もうAIは十分に活用できている」と感じてしまい、その先——エージェント型で業務を自動化する段階——へ進もうとしない。この認識こそが、最大の壁だという。
しかも、その壁はすでに崩れ始めている。エージェント型なら、簡単な自動化はコードを書かずに実現できる。「専門家でなければ使えない」という前提は、技術的にはもう成り立たない。だからこそ、越えるべきは技術ではなく意識であり、その突破口は生成AI活用を推進するリーダーの姿勢にもある、と植田氏は続ける。
「まず、リーダー自身が自分の手で使ってみることです。AIが仕事を変えていくのを、自分で体感する。そのうえで、自らの経験から『これは本当に良い』と信じて伝えていく。リーダーが体感し、信じて語るからこそ、現場も動き始めるんです」(植田氏)

現場のエンゲージメントを高めることと、リーダーの率先する姿勢。その両方がそろったとき、AI活用を通じて実業務に変化をもたらす。
おわりに
バイエル薬品の取り組みが示すのは、AI活用の成否を決めるのは「最新の技術を導入すること」ではなく、「自分の仕事は自分で変えられる」という、使う人の意識にあったという事実だ。技術的な壁は、思うほど高くない。活用意欲の高い人を巻き込み、実際に手を動かせる環境を整え、リーダーが率先して使う。そして、変化を捉えながら安全性を確かめ、一歩ずつ前へ進む。バイエル薬品の歩みは、こうした積み重ねが現場を動かすことを物語っている。
AI活用を、本部主導から各部門・現場への権限委譲へ。個人の工夫を、組織の財産へ。バイエル薬品の挑戦は、これからのAI活用がどう広がっていくのかを、静かに指し示している。
Profile
植田 昌孝 氏
バイエル薬品のメディカルアフェアーズ&ファーマコビジランス本部にて、オペレーショナル・エクセレンスを統括。業務プロセス改善のクロスファンクショナルチームをリードし、部門横断プロジェクトを推進する。研究職としてキャリアを開始し、MBA取得後、薬事(PMDA交渉)や業務改善を経験して現職。現場主導のAI活用プロジェクト「ADEPT」を推進。
※本記事におけるインタビュー内容は植田氏個人の見解であり、所属企業の見解や方針を代弁・表明するものではありません。